バリキラキラ仕入日記 
2008
キラキラとはインドネシア語でいいかげんとかおおよそという意味です。
仕入れに行ったときの日記をきままに掲載しています。

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■1月20日(日)■初めてコンチネンタル航空に乗る

 今日の東京の天気予報は曇りのち雪。最低気温0度、最高気温6度の予報。

5時起床、さほど寒さを感じない朝。7時自宅を出る。成田空港第一ビルより
11:10グァム経由のバリ行き。グァムまでは約3時間の飛行、グァムで3時間の時間調整後、バリに向けて出発、現地時間21:55分(日本時間22:55分)バリ到着。日本を出て実に12時間の長旅である。直行便なら夕方にはバリに着いて美味しいビールでも飲んでいる時間なのに今回は、グァムから機内で上演している映画3本を観終わった頃やっと到着。マイレージを貯める為とはいえ…ヘトヘトである。昨年よりガルーダーインドネシア航空がマイレージネットワークからはずれた為、ネットワークに加盟しているコンチネンタルを選ぶことになった。

深夜の到着にもかかわらず、空港はいつもの倍の人々で賑わっている。JALやガルーダは夕方に着く成田発の便なので乗客はほとんど日本人だが、グァムからだと欧米の人々が多く目立つ。荷物を受け取ってゲートを出ると、群がるようにして待っている旅行会社や迎えの人々の熱い視線を感じながらタクシー乗り場に急いでいると、突然人ごみの中から「ツチヤ」と叫ぶ声がする。その声の方を見るとホテルのマネージャーが迎えに来てくれていた。チェックインの時間が遅くなる事のみFAXで伝えていたが、迎えは頼んでいなかったので、相方と2人で小躍りして喜んだ。感動とは、まさに予期していない時に起こるんだと改めて思った。

マネージャーが用意してくれた車でホテルへ、外は蒸し暑いが車の中は寒いくらいにエアコンが効いている。20分程でレギャンのいつものホテルにチェックイン、時計はすでに12時近くになっているが顔なじみの従業員が笑顔で出迎えてくれた。1年半ぶり、15回目のバリ、時の長さを感じない。1年半前と今が繋がっているように感じる。定宿があるという事はありがたい。このホテルは2000年からの利用、今年で8年目になる。従業員もほとんど変わっていない。今夜迎えに来てくれた彼(ワヤン)も最初からいる人で、今はマネージャーになっている。何はともあれ南国の心地よい風に吹かれながらビールで乾杯! 

■1月21日(月)■買い物は男の仕事

 疲れていたせいか色々な夢を見る。9時過ぎ起床、朝食に1階に下りていく。朝からギラギラと照りつける太陽、まぶしくて頭がクラクラする。身体の細胞はまだ冬なのに1日で真夏に早送りしなければならない。

小柄の女性クツウが笑顔で迎えてくれた。若いのに、ちょっとけだるそうにオーダーを聞いて
来る。もう一人のクツウも朝のお供えの手を止めて歓迎してくれた。なじみの宿はほっとする。朝食はトースト、コーヒー、生ジュースが宿泊料に含まれているので、追加としてトマトオムレツとバナナジュースを注文する。ホテルの客室もほぼ満杯の状態、いつもと違って熟年カップルが目立つ。今日はホテルでのんびり過ごす。相方はじっとしていられないタイプなので、昼食の後、早速、値段や周辺のチェックにでかけた。夕方、水や洗剤、つまみを山のように抱えて、買い物は男の仕事とばかりに張り切って帰って来た。バリでは水道水が飲めない為、スーパーで安い水を買っておくことは大切な仕事。




■1月22日(火)■チャーリーが家を買った

 朝食の後、両替をすませる。昨日よりも少しレートがいい。1万円で889000ルピア、明日,どうなるか分からないので、取り合えず自分の小遣い3万円分両替する。2667000ルピア前回分の残りと合わせても3367000ルピア、自分の好きなものを買って友人にお土産を買っても十分な金額である。

ちなみに常宿のホテル代はツインベッドにエアコン、冷蔵庫、
TV、朝食付きで一部屋一日13万ルピア(日本円で1500円位)庭には小さいながらもプールも付いている。相方は昨日両替をしたので今日は控えたが、滞在中、レートが一番いいのが今日で、後は少しずつ下がっていった。

タクシーでチャーリーの店に行く。1年半ぶりに会う友、チャーリーも奥さんのアリーも変
りなく、二人の子供たちも会う毎に美しく成長している。我々が着くとすぐに店じまいをして、車で新居に案内してくれた。クタギャレリアの近くで緑に囲まれた静かな一軒家、3ベッドルームにくつろげる広さのリビング、部屋は全て庭に面していて各部屋はポーチでつながっている。床はバリ特有の30センチ四方の白のタイルで素足で歩くととても気持ちがいい。リビングには32インチの薄型テレビもあった。今は、携帯電話の他に水のビジネスもしている。様々なビジネスに挑戦しているチャーリーにほとほと感心する。

チャーリーと初めて会ったのは、12年前、我々が初めてバリを訪れた時である。33歳の色白の青年がレギャンに店を構えTシャツやサロン等を売っていた。その店で相方が20枚のTシャツを買ったのがそもそもの始まり。我々はずっと、東京でエスニック雑貨の店をやっているが、チャーリーはその後C Dショプや現在の携帯電話の店、売れ行きの悪い時は店の前で肉まんやあんまんを売っていた。今は水の宅配ビジネスも加わって、生きるためにあらゆる努力をしてるなとバリに行くたびにしたたかなエネルギーを感じた。この12年間に、店で働いていたアリーと結婚し、メリーとメイタリアという名の二人の女の子を儲けた。その二人の子も、小学3年と小学1年生。少しシャイな青年も二児のパパで今では貫禄さえ感じる。誠実な人だからこそ、ここまでずっと付き合ってこられたのだなと改めて思った。

そして
チャーリーの生活が良くなってくれることは我々にとっても本当にうれしいことだ。


■1月23日(水)■友人・南保氏

 相方は昨夜から友人の南保氏の家に泊まりに行ったので、今朝は一人で朝食を摂る。南保氏はバリではちょっとした有名人である。

バリの空港や街のあちこちに置いてある
バリウオーカーというバリ島の情報誌に必ずといっていい程、南保氏の顔が載っている。クタギャレリアの中にある「味彩」という日本レストランの板長で、グランドハイアットやニッコウ・バリの総料理長の経験もある。

相方と南保氏の出会いは古く、むかし…昔、まだ二人とも若き青年の頃、南米の旅で知り合ったようで、恋多き南保氏のアマゾンでの旅の様子は相方から何度となく聞かされている。縁とは不思議なもので、途中、何十年もの間連絡を取り合わなくても、再び、バリで出会うことになった。

三階のバルコニーから下を見るとプールも庭も宿泊客で賑わっている。寒いヨーロッパを避け
て太陽と東洋の神秘を求めてバリに来るのだろうか、この時期いつも一緒になるドイツ人の初老の男性も今年もまた、我々よりも早く来ていた。そして、我々よりもずっと長くこのホテルに滞在している。

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■1月24日(木)■バリで一番好きな場所

 今日は私の誕生日。スミニャクにあるイタリアンレストランの「ラ・ルチオーラ」でランチ。海に面した二階建ての開放的なバリ様式のかやぶきの建物は前後左右、風が吹き抜けていく。建物の前には緑の芝生が敷かれヤシの木が等間隔に植えられている。その向こうには真っ青なバリの海が広がっている。

クタビーチと違ってこの辺は観光客も少なく、静かでのんびりと
した趣がある。二階席からの眺めはまた格別で、白波を立てて押し寄せてくる波は見ていて飽きることがない。

ピザとフィシュアンドチップ、サラダと飲み物、日本円で約3000円。日本で考えると
普通の値段だが、この国の物価にするとかなり高め、このロケーションが値段に半分含まれていると思えば納得できる。料理もまあまあで、なによりロケーションはバツグンである。

ここはバリで一番好きな場所でもある。

■1月25日(金)■デンパサール

 我々の仕入れではずせないのがデンパサール。デンパサールはバリ島最大の街であり、日本の領事館もこの街にある。

我々の目的地は
パサールパドンとクンバサリーショピングセンターである。11時、チャーリーの車でデンパサールに行く。今まではタクシーを利用していたが、まさか、チャーリーの車で行く日が来るなんて、夢のようだ。ビジネスの苦しい時は、借りていた住いも引き払い店の奥で親子4人が、まるで難民のようにして暮らしていた時期もあったのに、車も持つことが出来る様になって本当にうれしい。運転はまだスローだが安全運転で安心だ。クンバサリーの3階から上が昨年の火事で焼け落ちていたが、我々の仕入れ先の店は2階で危うく難を逃れラッキーだった。

ここでの仕入れは、スカーフ、イカット、ワンピース、
Tシャツ等々。スカーフも種類が多く30分が過ぎると疲れが出て、集中力がなくなり、もう何でもいい状態になってくる。あとは、相方に任せて、店先で休憩をする。休憩中に仕入れはドンドン膨らんでいく。仕入れが終わると店から車まで荷物を運んでくれる専門の女性が店に顔を出す。いつものシガニーだった。彼女は女戦士のようにたくましいので、「エイリアン」のシガニーウイーバ−の名前からシガニーと私が名付けた。20kg強の荷物を頭の上に軽々と乗せると車を止めている通りまで後ろを歩いている私を気遣いながらスタスタと運んでくれる。何てたくましいイブ(女性)だろうといつも感心する。相方はいつも多めにチップを払う。

■1月26日(土)■「味彩」へ行く

 クタ、ギャレリアにある「味彩」にランチを食べに行く。

土曜、日曜のランチはお寿司や
刺身、天ぷら、日本食が食べ放題。最初は勢い良くスタートしてもそんなに食べられる物でもなくお寿司5、6個と味噌汁、茶碗蒸しでお腹は満腹。南保氏が特別に、今、入ったばかりの生のマグロの刺身を出してくれた。冷凍マグロと違ってさすがに美味しかった。

その後、タクシーでバリ、ギャレリアの中にあるマタハリデパートに行く。ギャレリアもバリとクタがあり、マタハリもクタスクエアーとギャレリアの2箇所あってややこしい。日本に持って帰るお土産と洋書を買う。チャーリーが夕食に招待してくれたが、朝からクシャミ、セキが止まらず、完全に風邪をひいたらしく頭痛まではじまった。夕方、相方一人で出かけた。


■1月27日(日)■バリに来て1週間

昨日からの風邪が中々良くならない。今日から3泊でウブドへ行く予定を変更してひたすら寝る。相方は予定を日帰りに変更して、チャーリーの家族とウブドへ出かけた。クーラーを切り、冷蔵庫で冷やしたタオルを頭に載せて、何度夢を見たかわからない位眠り続けた。バリに来ると必ず1日、2日は寝込むので別に珍しくはなく、相方は気にする様子もなくさっさと出かけてしまった。眠りながらうなっている自分がわかる。苦しくないけどうなると楽になるのだ。高知の病院で母の看病をしている時、母もよくうなっていた。苦しい?と聞くとううんと言てた事を思いだした。大きな手術をして母はきっと苦しかったに違いないのに、もう少しやさしくしてあげれば良かったと思った。

インドネシアの元大統領、スハルト氏死去。

夜、TVをつけると、どのテレビ局もこのニュースが流れていた。9時過ぎ夕飯と、のどの薬を持って相方が帰ってきた。ウブドはスコールで道路は水浸しだったとの事。それでもカメラの中には、チャーリーの娘メリーとメイタリアのキュートな笑顔が収められていた。


■1月28日(月)■仕入れは男の仕事

 咳も治まって全快ではないが、今朝はまあまあの調子である。
12時前、レーヨンバチィックとビーズバッグの仕入れのため、仕入れ先まで20分ほど歩いて
行く。雨季のこの時期、バリは蒸し暑い。太陽がギラギラと襲いかかって来る。日焼け止めを顔と手にしかりと塗りたくり、長袖のシャツに日傘でガード、それでもバリに来る度に手の甲やほほのあたりにしみが増えていく。ビーズバッグは私が決めるが、ほとんどの商品は相方が決める。一日中店にいて、足りない物やお客の好みを知っているのは相方なので、私は一歩引いて店の商品には余り口を出さず、自分の好きな物だけを、お土産用や自分のコレクションに選んでいる。先週仕入れて店にキープしておいた品物をピックアップして発送のため郵便局に行く。

今日も相方とチャーリーが発送をしてくれるので、私は一足先にホテルにもどる。好きな仕事とはいえ赤道直下の暑い国で値段の交渉から発送まで完全にこなすには、かなりのエネルギーが必要だ。まさに体力勝負。仕入れは男の仕事である。

■1月29日(火)■チャンティ

 カゴ類の仕入れの為、馴染みの店に行く。私達の顔を見ると、この店の長女のカルティニが満面に笑みをたたえオーバーアクションで迎えてくれた。前回撮った写真を渡すと喜んでしきりにチャンティを繰り返す、こんなに喜んでもらえると写真を撮ることの意義を感じる。日本語の勉強をしているといって、日本語がぎっしりと書かれたノートを見せてくれた。英語で「タイアード」、インドネシア語で「チャペ」は日本語で何て言うのと、早速、質問してきた。「疲れた」を教えるとノートに書き留めていた。前回来た時はママが昼食に招待してくれた。今日はママの姿はみえなかった。

この店ではカゴや木製の入れ物等を仕入れた。

私は田舎の母の為に新作のアタで出来たバッグを買った。



■1月30日(水)■笑顔の美しい人たち

 注文していた木彫りのネームプレートを受け取りにクロボカンに行く。今日もチャーリーが車を出してくれた。バリは公共の交通機関が発達していないため、歩いていける場所以外はタクシーか車しかない。現地の人々はほとんどがバイクを利用している。

クロボカンは家具作りや刑務所がある場所として有名である。ネームプレート屋さんも
刑務所の長い塀の横の細い道を隔てた所にあり、注文に行く度に真っ白な高い塀を拝むことになる。この刑務所は主に政治犯が収容されているらしいが、日本の若い女性もいるとの事。ネームプレートを受け取って、再びデンパサールへ行く。雨が降り始めた。急な雨で市場の広場は売り子と買い物客でごった返している。車を止める場所がない。仕方なく相方と私で品物をピックアップすることで車を降りる。降りしきる雨の中、人ごみをかき分け店まで行く。シガニーも手伝ってくれて無事、品物を車まで運ぶ。

郵便局の発送で難しいのは1箱20kgにしなければならないことで、その為にインボイスを何度も書き換えなければならない事もある。我々の様な零細小売店では送るためのコストをいかに抑えるかが、大事な要素で、当然ながら船便を利用する。ドアtoドアの郵便局は時間もかかるが値段は航空便の半分で済む。デンパサールの郵便局で発送の手続きをしていると、以前いつも私たちの荷物を作ってくれていた小柄で少年のような顔をした可愛い人が外の仕事から帰ってきた時で、私たちの顔を見るなり、にこやかに握手をしてくださった。何年たっても覚えていてくれて挨拶をしてくれることがうれしい。

バリ島のイスラムの人は穏やかな人が多い。サニーショップの人達、ソラヤの人達、ロンボクの人達。いつもにこやかな笑顔が返ってくる。


■1月31日(木)■タナロットへ行く

 チャーリーの熱心な誘いで、タナロットへ行く。バリに来るようになって12年目、15回目で初めて訪れる地。チャーリーの家族4人と私たち計6人。3時ごろクタを出発

途中、アリーの田舎(カンポ)に寄る。
カンポが近づくにつれて緑一面の豊かな水田が目に飛び込んできた。青々としたライステラス日本と同じ稲作文化の国。丁寧に作られた田んぼにバリの人達の愛着を感じる。はるか向こうにヤシの林が見える。水田の中に突如家々が現れ始めた。村だ。アリーの家は広い敷地の中に家族、親戚、皆が一緒に暮らしている。狭い石の門を入ると、まず、両親の家があり、その横に兄弟ひとり、ひとりの家が横並びに建っている。敷地の真ん中にはセレモニー用の建物があり、結婚式、お葬式、お祭り、全てのセレモニーはこの建物の中で行われる。一族皆が協力して生活している様子が良く分かる。煤で真っ黒になった台所、かまどがあり、まだ薪を使って火をおこしていた。一昔前の日本の原風景を見る思いがした。「こういうバリの本来の生活を見たかった」と、相方は興奮してしきりに感動していた。

夕方近く、タナロットに向けて出発。アリーの家からは車で15分位の距離だった。
タナロットは岬に突き出た寺院くらいにしか認識がなかったが、行って、びっくり、バリの目玉観光地のひとつだった。大型の観光バスや車が整備された駐車場に次々に入って行く。岬の寺院までは参道になっていて道の両側にはお土産屋が、ずらっと並んでいる。夕日を見るために、もうすでに大勢の観光客が海のすぐ側まで降りていた。あいにく雲がかかり夕日を見ることは出来なかったが、またひとつ、バリでの思い出を刻む一日となった。

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■2月1日(金)■バンジール・ジャカルタは大洪水

 今朝はさすがに疲れて、気が付くと10時近くになっていた。朝起きる時間が段々と遅くなる。

今日は一日、日本へ持って帰る荷物の整理、持ち帰れる荷物は二人合わせて40kg。
相方は注文していたTシャツが出来上がったので、発送のため郵便局にいったが、クニンガンのため午前中で終わりとの事で3時ごろ帰って来る。

ガルンガンとクニンガン、日本のお盆の
様なもので、先祖が帰ってくるのがガルンガン、その10日後先祖を送り出すのがクニンガンである。

ジャカルタは昨日からバンジール(大洪水)に襲われ、街も空港も水浸しだ。
どのTV局もこのニュースで持ちきりだ。女性レポーターも胸まで水に浸かって報道している原稿を一度も見ることはない。この国のニュースアナウンサーの質の高さをうかがわせる。どの局のニュースをみても、日本のように下を向いて原稿を読んでいるアナウンサーはひとりもいない。ニュースを完全に消化し、自分のものにしている。

■2月2日(土)■マイネイム イズ レイン
 二度目の土曜日。「味彩」にお昼を食べに行く。今日はすいていて、南保氏も仕事の手を休め私たちの席でしばらくおしゃべりをする。3月に東京に来ると言う事で、また、すぐ再会できる。今回、パチャール(愛人)のことを一度も口にしなかった事が少し気にかかる。別れたのかな?

明日一日で、バリともお別れ。買い忘れた物やまだ出来上がっていないスカートやパンツの確認
の為仕入れ先に行く。明日は日曜日で郵便局は休み、こんな時、頼みになるのはチャーリー。出来上がっていない品物と昨日送れなかったTシャツ等々20kg−3箱の発送をチャーリーに頼む。現地に信頼のおける友人がいることは本当に心強く、鬼に金棒だ。

夜、TVをつけるとクリアーという整髪料のCMに「マイネイム イズ レイン」と微笑む韓国スターの「ピ」の顔があった。2006年、アメリカのニューズウィーク誌の中で「世界に影響を与えた100人」の中に選ばれたひとりだ。タイでも街のあちこちにヨーグルトドリンクのCMをしている「ピ」の顔があったが、バリでも人気者だった。
■2月3日(日)■スラマ ジャラン
 今日でバリの15日間も終わり。身体がやっと夏の身体に慣れ始めた頃、帰らなければならない。やはり、仕入れと休暇は3〜4週間はほしい。昨年タイで会ったスペイン人は60日の休暇だと言っていた。日本人が一ヶ月の休暇を取れる日はまだ先なのか?今朝かけた電話の様子だと、東京は雪とのこと、熱帯からまた冬に逆戻り。

この暑さも
あと何時間かで終わり、明日の今頃はストーブの前で寒い、寒いと連発している自分の姿を想像する。夜8時、チャーリーの車で空港に行く。空港の敷地に入ると「スラマ ジャラン」、さようならと書かれた大きな垂れ幕が架かっていた。

「サンペイ
ジュンパ」、また会いましょう 「スラマ ジャラン」さようならと言ってチャーリーに別れを告げた。
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